モラハラ夫からの子連れ脱出を経験 現状を変える一助になれば幸いです

共依存から抜け出すために

共依存から抜け出すために

モラハラを受ける人の特徴として共依存があります。

 自分の意思決定の基準が相手の言動

 自分を犠牲にしても相手を優先してしまう

 モラハラ・DVをされても「この人を理解してあげられるのは自分だけ」などと思って耐えてしまう

自分は共依存かもと自覚することが必要です。

【共依存とは】厚生労働省
e-ヘルスネット

共依存(きょういぞん)

依存症者に必要とされることに存在価値を見いだし、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様。

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例えばアルコール依存症の妻は、依存症に巻き込まれた被害者と言えます。一方で家族研究から、妻はアルコール依存症者のそばで病気の維持に手を貸している面があり、間接的にアルコールに依存しているという「共依存」ではないかという考えがでてきました。共依存者は被害者であるとともに共犯者でもあり、相手(依存症者)に必要とされることで自分の存在価値を見いだすためにそのような相手が必要であるという、自己喪失の病気であるといえます。

共依存の例として以下が挙げられます。「1. いつも飲まないように口うるさくして、本人の否認を増強させている関係」「2. 世話焼きをし過ぎることで、本人がアルコール問題に直面しないようにしている関係」「3. 夫のアルコールによる失敗の後始末をして、世間にはアルコール問題がないかのようにふるまっている関係」「4. 性格の問題とみなして、 アルコール問題を否認している妻」「5. 夫のしらふの時にはお互いに緊張してよそよそしく、飲むと互いに感情が爆発する関係」「6. 夫のしらふの時には妻が支配的で、飲むと暴力で夫が支配する関係」「7. 夫から離れられず、いつも犠牲者としての悲劇のヒロインを演じ続けている妻たち」などです。
もちろん依存症者がどの立場であるかによって、「夫や親」「親戚」「友人」「上司」などに共依存が生じ得ます。

自覚することが第一歩

共依存かもと自覚して、

こんな関係を一生続けていくのは嫌だ!と強く思うことが今の人生の変化のはじめの一歩です。

自分で「嫌だ!変えたい!変わりたい!」と思わなければ、何も変えることは出来ません。

なぜなら、周りの人が

「そんな関係おかしいよ。なんでがまんしてるの?離婚しなよ!」

と言ってみても、本人にその気がなく、

「おかしいとは思うけど、でも夫婦の形なんて人それぞれ。この人は私が理解してあげないと」

と本気で思っているのであれば、離婚というものは、この人の気持ちを不幸にしてしまうことになります。

助けが必要なのは、

「おかしいのは分かってる。嫌だし、現状を変えたい!離婚したいと思う

でも、私と離婚したら、この人の面倒は誰が見れるの?こんなひと、私以外とはやっていけないだろうな」

と、共依存から抜け出したいけど抜け出せていない状態の人です。

大丈夫、あなたが居なくても問題ない!

私も、こんな状態を15年も繰り返し、別居を経て調停離婚をした私が実感したことは、

相手は私がいなくても全然問題ない!という事です。

一緒にいるから共依存の状態になる。いなければいないで、それなりにやつれもせず元気に暮らしている

また私ではない別のターゲットを見つけるのかどうなるのかは知りませんが、

私も、思っていたほど別居後相手の事が気にならなくなりました。

というか、私の場合、自分でも驚くほど気にならない、思い出さない状態でした。

(正確には、思い出そうとすると何かが脳内でそれをブロックして抑え込むようなイメージです)

これは自分の心にはすごく良い事、負担が軽くなる事だと思います。

別居直後はさすがにいろいろありました。

急に出てきたからパニックになってるのでは?

 

錯乱して家のガラスとか割って暴れてたりして・・

 

今までごめんなさいとメールで謝られ、よくわからない感情で涙が出てきたり・・

しかし、物理的に距離をとった状態で相手の言動をみていると、

調停で私に対する要求をしてくる内容や、対応しなければいけない事を無視してやらなかったり。

やっぱり変わらないな というのが端々に出ているんです。

現状を変えるには行動するしかありません。

モラハラ夫を、言葉やプチ家出などちょっとしたことで変えることは不可能です

最初は大変だけど、思い切って行動し自分らしい人生を生きるか

 

嫌だけど、なんだか怖いし大変そうだから、このままの状態を一生続ける

か2択だと思います。後者の場合、相手の言動を気にしない!過剰に反応しない。というのが対策になるようですが、これはそもそもモラハラ夫のターゲットになる人には性格的に難しい事だと思います。

言葉で侮辱され続ける日々の中で